昨日の日記

ずっと家にいるとメンタル的によくないと思ったので昨日は横浜まで勉強しに行きました。

それにしてもスタバはセンターといてる人が多すぎですね。
まあそういう時期ですからしかたないです。


一応物理と政経で満点取れるようになりました。
今週からは国語、英語、世界史を詰めていこうと思います。


帰りに2クレjubeatして帰りました。10クレ目です。パチパチ。
アイコンもSWALLOWTAILになりました。J-popに疎いせいで収録曲の展開すらわからないのでほとんど反射神経で打ってますがLv.7位は打てるかんじですね。
まあ中毒にならない程度に楽しんでいきます。

新年あけましたね。

おめでとうございます。
このブログも御糞日記に代わり日常記になりそうです。


12/31
22:00
高校の友人で聖戦初参戦帰りのnablaenergy君(以下e君)とmushroom君(以下m君)と待ち合わせをして新年を迎えることとなりました。


22:10
ゲームセンターでjubeatをしました。3,4,5プレイ目。
e君は非常にうまかったです。平然と凛花のEXTとかプレイしてましたね。
m君は始めてだったようです。


23:00
ゲーセンを脱出して悩む。
1,飲み屋
2,マック
3,徒歩
4,ゲーセン
で徒歩を選択。
コンビニでドリンクとワインを購入。


23:20
ようやくワインの栓抜きが無いことに気づく。買う段階で誰も気づかなかった。愚か。


1/1
00:00
保土ヶ谷駅付近で年越し。
3人で携帯を眺めてカウントダウン。終了後平然と歩き始める。
英語の話とかしてました。


00:30
公園発見。しばらく遊具で遊ぶ。
除夜の鐘を聞きながら#joyaface誕生。
凡そトラックとは思えない速度でトラックが脇を通り過ぎる。
某数学科のD.M君は星座早見君と呼ばれることに。
ローソンで冷凍ピラフ(105円)を温めてもらい食べる。


01:00
そろそろ疲れた。
e君聖誕祭の話、標数の話あたりが始まる。m君は混乱した。
主要道路脇の防音壁の威力高すぎ。音の回折を体感。


02:00
そろそろ東戸塚
ここで高校時代の友人S.M君に電話。来ることに。さすが3人寄ると凶悪スパム。
電車に乗り込み鎌倉へ


02:45
鎌倉でS.M君と合流。
鶴岡八幡宮へ向かい参拝。おみくじは引かない。


03:45
テンションでソーセージをしゃぶしゃぶ。
茶店が見つからない!
と思ったら高いけどいい喫茶店発見!
中に入って初ハーツ始めました!


05:45
星座早見君からm君とS.M君にメール。返信をスパムに。
茶店脱出。
江ノ電乗車。
4人がかりのスパムを星座早見君に送りつける。


06:00
鎌倉高校前で下車。
目の前には相模湾、空には月と金星、東の空は浮世絵のよう。
すばらしい風景とともにテンションあがる。
e君の調子が悪い。


06:45
日の出。綺麗。感動。


そりゃ 日の出なんてみんな撮るんだから撮るなら撮る人でしょ。


07:00
富士山パナイ。


08:00
ゆっくりしてるけどe君の体調悪い。
僕の家に行くつもりだったけど諦めて解散。



てなかんじで新年を迎えました。
とてもよい新年を迎えたと思います。
それでは皆様今年も善い年となりますよう。

日記ってやつが書きたくなったので

友人の∇くんに薦められたので書こうと思います。

・近況
勉強してます。東大模試はA判定とB判定でした。
両方とも国語は普通、数学は圧勝、社会はまだ課題を残しながらも上々、英語はまあ…
てなかんじでまあ順調です。


・最近読んだ本、買った本
漫画は
こえでおしごと!4巻
テルマエ・ロマエ2巻
あたりですね。


本は
オルテガ『大衆の反逆』を読みました。
どうもヨーロッパ人優位的な感じが鼻についてしまいます。
でもその部分を除いても非常によい本だと思うのでよいと思います。
化物語』(上)(下)あたりも非常に楽しく読み直しました。


買った本、もらった本(積読)
サスキア・サッセン『グローバル・シティ』
ハイエク『隷属への道』『自由の条件』(1)(2)(3)
ベルクソン『時間と自由』
マックス・ウェーバー『職業としての政治 職業としての学問』


本は例年の10%くらいしか読んでないのでフラストレーションたまりまくりです。
春になったらたくさん読みたい。レヴィストロースも読み直したいし、ウォーラーステイン『近代世界システム』読みたい。春じゃ読みきれない疑惑。


そんな感じで僕は元気です。

 トウモロコシに見るアメリカ

アメリカでは1970年代の農業政策の転換によって、それまでの減産補助金支給政策を一転して増産補助金補助金支給政策とした。
その結果アメリカでは様々の農産物が大量にが生産されるようになった。トウモロコシはそのひとつである。
トウモロコシは面積当たりの収量を増加させるように改良され、労働集約、設備集約が進行して農業の工業化が行われた。

現在では1エーカー(約36m四方)当たり5t近くのトウモロコシを生産している。

そして、トウモロコシはさまざまなものに加工される。その一つ一つがトウモロコシの生産を加速させているのだ。近年ではバイオエタノールもその例の一つだろう。
その様は余剰するトウモロコシが亡霊のごとく、加工される対象、むさぼり食う対象を探し求めているようだ。

こうして大量に生産された安価なトウモロコシは人々の食費をどんどん低下させた。現在アメリカでは収入に占める食費の割合の平均は7%-9%ほどとなっている。日本では約20%であるからその差は歴然である。
その分可処分所得が増大する。その金はさらなる消費へと回され、今のアメリカの繁栄は裏付けられているのだ。アメリカ人はトウモロコシによって飼われていると言っても過言ではない。


しかし、アメリカで生産されるトウモロコシの大半はとてもそのまま食べられたものではない。高収量=面積当たりのトウモロコシ生産を増やすことではない。高収量=生産カロリーを増加させるということなのだ。カロリーを増大させるということはトウモロコシが本来有するタンパク質の喪失ということにもつながり、栄養価はほとんどないに等しい。単純にカロリーを摂取するだけの物質になり下がった。

さらには1970年代に急速に普及した高果糖コーンシロップは瞬く間にグラニュー糖に置き換わり、現在ではアメリカ人が摂取する糖分の80%近くが高果糖コーンシロップによって摂取される。
この30年間で糖類の摂取は30%増大したが、グラニュー糖の消費量は半分以下になったことからもどれほどに普及したかがわかるだろう。

生産されたトウモロコシは牛の"生産"にも用いられ、高果糖コーンシロップとして生成される。牛は本来トウモロコシを食べて育つようにはなっていない。そのままトウモロコシを食べていると、胃の内部のphが酸性に傾き病気になってしまう。
病気にならないように飼料には大量の薬が投与される。
牛は薬漬けの状態で出荷される。


ここで黄色いMのマークのショップを思い浮かべてみてほしい。
牛はトウモロコシで育ち、ポテトはコーン油で揚げられ、コーラは高果糖コーンシロップでできている。
恐ろしい話だ。


近年、アメリカ人の肥満率は31%と言われている。安い食品が満ち溢れ、豊かなように見える世界は本当に豊かなのだろうか?

彼らにとって食の喜びとは何なのだろうか?

人の肥大、欲望の肥大の先には何があるのか?




しかし、トウモロコシをめぐる既得権益は恐ろしく強大であることも付記しておかなくてはいけない。

日本の食料自給率は41%と言われているが、この食料自給率はカロリーベースで語られている。日本の農業は栄養のある作物を作っているだけまだましなのかもしれない…

トウモロコシ

アイオワのトウモロコシ
トウモロコシは牛を育て、高果糖コーンシロップはコーラを作り、それを食べた人々は太っていく。

アイオワのトウモロコシ
トウモロコシは多くの人を養えるように出来るように改良され、人はどんどん肥えていく。

アイオワのトウモロコシ
トウモロコシは安い食品を大量生産。それは大量に消費され、人はどんどん肥大していく。

アイオワのトウモロコシ
安い食品は人々の可処分所得の割合を増やし、欲望はどんどん肥大化する。

せっかくなので

mixiのほうに載せてある断片的な情報をある程度整理して文章化している最中でございますので期待されている方は気長にお待ちください。
とりあえずこのブログを書くにあたっての意思表示を行いたいと思います。


自分はこのような空間においての意思表示を非常に苦手としています。
しかし、せっかくこのように自由に意思表示がある程度行うことができる空間を作成したので、自分の考えも述べていこうと思っています。
ただ公衆良俗に反しない範囲での記述に留まることが多いでしょう。
「公衆良俗」この言葉も良くないですね。非常に主観的なもので怪しいもの、疑わしいものですが、いわゆる一般の会話の際に存在する、物事を話す際の暗黙の同意の線 ―非常に薄弱ながらも確実に存在し、個々人がそれ設定するにもかかわらず誰にでも共有されているという錯覚を覚えてしまう、非常に危うい線― に基づいて文章を書いていくということですね。
なので、その線の話題による揺らぎは時に読み手の線を超えてしまうこともあるかもしれませんが、ご容赦願いたいと思います。


また、ここに掲載される文章は二次情報、三次情報によるものが多いです。引用元に最大限の敬意と注意を払いながら書いていくつもりですが、時に誤ったことを書くこともあるかもしれません。その時にはコメントのほうへ書き込んでください。


最後になってしまいますが、このブログはmixiと違い読者あってのブログです。読者と私自身によって場が構築され、良い雰囲気を醸成することができると考えています。意見、感想などがございましたら忌憚なくお寄せください。
始めたての頃は文章もまとまらず見苦しい文章が続き、不定期更新ということからもどかしさを与えてしまうかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。

私たちの世界 -散策のススメ-


以下のような状況を想定してほしい。
あなたの家に急遽外国人が来ることになった。そして、あなたはその外国人を連れてあなたの住む街を案内しなくてはいけない。

あなたはどのような場所を案内するだろうか?
あなたは案内した場所を説明することができるだろうか?


我が家では先日このような状況があった。
父親の取引先の米国人3人が横浜にやってくることとなった。その3人は仕事で日本にやってきたのだが、1日の自由行動があるそうだ。そこで父親は横浜をどのように案内すればよいかということを尋ねてきた。
自分は「中華街でも連れていけばいいじゃないか。」と適当に答えた。

結論から言ってしまえば、この回答は0点であったように思える。
そもそも「横浜」=「中華街」という固定観念において回答がなされている点や外国人が日本に来たのになぜ中華街なのか?China Townなどというものは世界中どこにでも存在する。これは国内の友人を案内するという点においてはよいかもしれないが、海外の人を案内するという点においてはまったくもって問題である。そのような視点の転換が全くなされていない。さらには人を案内するという配慮に欠けている。

しかしながら、そのような指摘がなされても自分は横浜という町を案内することはできなかったかもしれない。
そもそも横浜という町のことをあまり知らなかった。
何をもって知っているのかというのもなかなかに難しい話ではあるのだが。


このような出来事を通して改めて、自分の周りのことは自分の見える範囲でしか知らないということを実感した。
あなたはどれほど自分の住む町、自分の通う町のことを知っているのだろうか?

ではどのようにして、町のことを知ればよいのか?
そのために自分は散策をお勧めしたい。

特に準備するものはない。自分の身さえあればいい。ただ気が赴くままに自分が普段は行きもしない場所に足を延ばす。
たとえばただ電車で通り過ぎてしまうような駅、本やメディアを通してしか知らないような場所をヘッドホンを外して、考え事もやめて自分の足で周りを眺めながら歩いてみる。

そこにはその町の匂いがあって、その町の味があって、その町の色がある。
お香の香り、肉屋のコロッケ、素敵なビル。
そこにはきっと思いもしなかった発見があるし、不思議な出会いがあるかもしれない。
突然引きこまれるような細い路地、町を歩く買い物客。

その一つ一つが町を構成している。
もちろん歩くあなたもその一つであるということは忘れてはならない。
その一つ一つに触れてみることがまた別の世界を開く可能性を秘めてる。


あなたも町を歩いてみませんか?