旅に出るということ(1)
私は世間人並みの大学生(という架空の存在)よりは旅が好きだ。
旅の何が好きと聞かれれば、空気を味わうのが好きだと答える。自分達が当たり前だと思ってる日常はところ変われば非日常。そんな空気が好きだ。
例えばこてこての関東人であるところの私が関西に行けば、まず電車内の関西弁の空気に驚く。駅を出ればエスカレーターは右立ち。店屋に入ればようさん話しかけられる。日本でもさて巡ればこれほどまでに違うのかと感心する。
当然のことながら当地の食に舌鼓を打ち、風光明媚な景色に心を震わし、深く時を刻み今に繋がる建造物に興味を引かれるのは言うまでもない。
旅は常に心を震わせる。
続く
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最近はロシア語頑張ってます。
文字の読み方と発音、名詞の性判定を頑張ったところで、そろそろ鬼門格変化に突入しそうです。
自分の理解も含めて一応
格は六格
主格…主語や述語になる
生格…所属を示す
与格…間接目的語になる
対格…直接目的語になる
造格…手段・道具を示す
前置格…前置詞とセットで使う
一例をば
男性名詞
журнал(雑誌)
単数
主 журнал
生 журнала
与 журналу
対 журнал
造 журналм
前 журнале
複数
主 журналы
生 журналов
与 журналам
対 журналы
造 журналами
前 журналах
終わる文字によっても違う。
ひぃぃいぃいーーー
言語は覚えゲーを格言に日々精進します。
あとは歴史関係の調べもの。
イギリス近代史あたりで。
そんな感じで元気にやってます。
某御仁にならってちょこちょこ更新していきたいなあ。
3年分のまとめ【前編】
実質明後日がラスボスなのでこういう記事でも書いてみようかなと思います。
今日は自分の話、明日は支えてくれた人たちについて書こうと思っています。
2008年
高校3年生
この頃は非常に不安定で1学期のうちのほとんどは部屋で過ごしてました。
理由は今となってはほとんど覚えていませんが、
1.自治疲れ
2.受験ストレス(殊英語、理科)
3.進路(理系オールイン状態での文転について)
が主な原因だったのではないかと思います。
1に関して言えば、まあ自分ひとりががんばっても人は変わらないし、成功しようがないって言う結構悲しい結末に至ったということでしょうか。
逆に言ってしまえば自分のことと至近の人のことは自分次第でどうにかなるということがわかりました。
自治を5年間がんばったことは最終的にはよくない結果となってしまったかもしれないが、自分の中では誇りに思えています。
2,3は殆ど同値ですね。
自分は高校2年生の頃から定期テストを受けていないのでどれくらいの学力かはわかりませんが、
社会はいつも無勉強、満点近く。
数学はがんばって90点くらい。
他は平均点チョイ上。
英語は赤点。
まあ点数は悪くない感じでした。
今から考えれば社会は向いていたんですが、数学したさが僕を理系に留まらせた第1の理由だったと思うわけです。
英語の授業は本当に憂鬱だったように思います。
何しろわけがわからない。まあ単に単語を覚えていなかっただけなんですがね。中学校1年生から単語を覚えた記憶がない。というか暗記をしようと思ったことがない。
いわゆる暗記科目である社会が授業受けただけで覚えられたというのがなおのことたちが悪かった。
単純に言ってしまえば努力不足です。
そんなこんなでずーっと引きこもっているうちにまれに学校に行くようしつつ夏休みになる前には多少元気にもなり、FXして稼いでいたお金を使ってAmazonで本を連打して読みふけるという生活を送っていました。
プラトン、アリストテレス、論語、孟子、杜甫、李白、ショーペンハウエル、カント、ニーチェ、ハイエク、ケインズ、アダム・スミス、ウェーバーあたりと気になった人の著作、小説、詩をたくさん。漫画、ラノベ、アニメをたくさん。
夏休みになるとお金を使って日本紀行。神戸、四国、東北、北陸、九州。青春18切符で。人のやさしさを感じる瞬間もあって楽しかった。
車窓から見える製紙工場とか人の生活を見てるうちに文転を決める。
夏休みには体力が落ちていて、5日間の神戸→金沢→長岡からの新幹線で川崎の実家→コミケ1日目→コミケ2日目とかやったときにはコミケ3日目の朝4時に39度の熱出して体がピクリとも動かなくなったときには笑った。
今思い出しても微笑ましい。
2学期になると授業には出ないながらも学校には2日に1度は行ったように思う。(1日いくと疲れて体が持たなかったから)
友人とキチガイみたいなレートで日々ポーカーに興じていた。あの頃は若かった。
ある友人とはたまに喫茶店に行った。彼は受験勉強をしていたが、僕は目の前で読書をしていた。よく彼も付き合ってくれたと思う。感謝しなくてはならない。
時は流れセンター試験の日には井の頭線渋谷駅の前でみんなを励まし、僕は高校で勉強していた。教師、後輩には非常に驚かれた。
卒業3週間前には担任から電話がかかってきて卒業したいという旨を伝えた。
課題を大量こなした記憶がある。
卒業式には袴で出た。周りが殆どスーツの中非常に目立ったと思う。
その後のことはまあいいだろう。友人の半数は進学し、半数は浪人した。
僕も当然浪人した。
2009年
−1年生
一応予備校には入った。まあ非常によく伸びた。社会は1科目しか取れなかったので世界史をとった。この頃には日本史を自習していた。
特にイベントもないのであれだが、第2回の東大即応の前3週間で地理を始めることにした。
そうしたらなんと地理は42点だった。唖然とした。数学は50点くらいだった。
他は散々で圧倒的にD判定だった。
その頃にまた鬱になり始めて勉強しなくなった。
殆ど寝るか本読んで暮らしてた。
センターの前日には数人に電話して泣くだけというテロも起こした。
一応センターは受けたが散々だった。英語が一番よかった。腰が抜けた。
2010年
0年生
勉強してました。以上。
正直な話結構楽しかったですが、今となって思うと受験勉強していなかったんじゃないかなとも思います。受験はわからん。
地理と数学と漢文はやらなくても勝手にぐんぐん伸びるし、英語はやってもやっても伸びない。
報われたのは世界史だけ。やったらやったでぐんぐん伸びる。
正直勉強していたのは殆ど英語と世界史と古文だったように思う。
地理はノートすら見返したことなく、適当に授業受けてたら記述模試で全国3位。偏差値80超え。数学以外で80超えたの始めて見て驚いた。
受験はわからん。
いろんな人に構ってもらったと思います。かまってちゃん本領発揮。
9月ごろからだんだん息切れしてきたものの、しっかりと勉強を継続して今に至る。
こうやってまとめてみるとうっすいなーと思います。
この2年間なんかやったことといえば勉強、読書、遊び、睡眠で大体済んでしまうと思います。
まあ、日々心を落ち着けてじっくりと出来ることをすることが大事なんだろうな。と自然に思うようになりました。
もう歳ですね。後は老いて死ぬだけなので黙々と勉強することにします。
ま、そんなもんです。
日記
今日は普通にセンター解いて穴を消してました。
英語160-190
数学180-200
国語160-190
社会170-200
理科80-100
事故が起きない限りは足きりはないだろうな位ですね。
ミニゲーム感覚で緊張しないように日々暮らしてます。
Maxいくと割りと神様になれそうな点数ですがきっとそれは全部簡単にならないと無理です。
世間では成人式があったようですね。僕は受験生なので行きませんでした。その後の同窓会も楽しそうだったのですが、ここだけの話(このブログを見てる人が少ないことを前提として)正直飲み会にはあまり行く気がしませんでした。
だって分裂してるんだもん。
まあそんなこともありますが僕は元気です。