私たちの世界 -散策のススメ-


以下のような状況を想定してほしい。
あなたの家に急遽外国人が来ることになった。そして、あなたはその外国人を連れてあなたの住む街を案内しなくてはいけない。

あなたはどのような場所を案内するだろうか?
あなたは案内した場所を説明することができるだろうか?


我が家では先日このような状況があった。
父親の取引先の米国人3人が横浜にやってくることとなった。その3人は仕事で日本にやってきたのだが、1日の自由行動があるそうだ。そこで父親は横浜をどのように案内すればよいかということを尋ねてきた。
自分は「中華街でも連れていけばいいじゃないか。」と適当に答えた。

結論から言ってしまえば、この回答は0点であったように思える。
そもそも「横浜」=「中華街」という固定観念において回答がなされている点や外国人が日本に来たのになぜ中華街なのか?China Townなどというものは世界中どこにでも存在する。これは国内の友人を案内するという点においてはよいかもしれないが、海外の人を案内するという点においてはまったくもって問題である。そのような視点の転換が全くなされていない。さらには人を案内するという配慮に欠けている。

しかしながら、そのような指摘がなされても自分は横浜という町を案内することはできなかったかもしれない。
そもそも横浜という町のことをあまり知らなかった。
何をもって知っているのかというのもなかなかに難しい話ではあるのだが。


このような出来事を通して改めて、自分の周りのことは自分の見える範囲でしか知らないということを実感した。
あなたはどれほど自分の住む町、自分の通う町のことを知っているのだろうか?

ではどのようにして、町のことを知ればよいのか?
そのために自分は散策をお勧めしたい。

特に準備するものはない。自分の身さえあればいい。ただ気が赴くままに自分が普段は行きもしない場所に足を延ばす。
たとえばただ電車で通り過ぎてしまうような駅、本やメディアを通してしか知らないような場所をヘッドホンを外して、考え事もやめて自分の足で周りを眺めながら歩いてみる。

そこにはその町の匂いがあって、その町の味があって、その町の色がある。
お香の香り、肉屋のコロッケ、素敵なビル。
そこにはきっと思いもしなかった発見があるし、不思議な出会いがあるかもしれない。
突然引きこまれるような細い路地、町を歩く買い物客。

その一つ一つが町を構成している。
もちろん歩くあなたもその一つであるということは忘れてはならない。
その一つ一つに触れてみることがまた別の世界を開く可能性を秘めてる。


あなたも町を歩いてみませんか?